池田桃果「川に舞う -都市の裏側から広がる劇場化計画-」
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私たち人間は、無意識のうちに仮面を被り、「私」という存在を演じている。いまや、ソーシャルメディアの日常化により、生ける現在がなく、「私」が複製可能な社会である。時にそれが人々を苦しめ、本来の「私」を見失ってしまう。大衆に向けられた情報は、各々の感性により、解釈、表現され、消費は単なる受動的な行為ではなく、創造的なパフォーマンスへと変化していく。また、"演じる"ということは、他者がいるからこそ生まれる行為であり、大勢の内の一人として生きる「私」たちにとって、都市は大きな舞台なのではないだろうか。 しかし、現在演じる場として与えられている劇場は、多くの人が大きな箱に閉じられた敷居の高い場所を想像するだろう。本提案では、近代劇場構造を解体し、演者と観客、第3者までもが視軸に入る中心のない共存関係の劇場を目指す。
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出典:出光美術館所蔵、江戸名所図屏風
〈日常から非日常への飛翔や転換の構造を担う「川・橋・船」〉
橋は、川を隔てた二つの世界の連結器としてではなく、二つの世界を隔てる境界、あるいは境界であることを示すシンボルのような一つの結界である。
橋を渡ることが対岸の世界が日常とは次元の違う別世界であることを確認させるとも言える。
船もまた、川を渡り、辺境の地にあるがゆえに、その都度道行の時空を体験させる仕掛けのひとつである。
〈河原者〉
川辺はいわば番外地であり、世間からはみ出し駆け込む人間も受け入れる、アジール(避難場所)である。
このアジールは、文化的な意味を持ち、庶民文化を生み出す基盤となり、自由な発想が許され、歌舞伎の素地を作った。
河原で創造されたものが人々の心を躍らせる見世物として巣立っていく。
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出典:歌川広重、名所江戸百景
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どこからが見世物なのか、観客という立場が生まれるのか、
一様な見方ではないからこそ実像と虚像のオーバーレイが生まれ、
見慣れた日常のこの場所・時を手掛りに、様々な仮面を持った「私」という存在を肯定できる場となることを願う。
講評:ここに入力(改行は不可)(山中新太郎)